あなたの悩みはどこから来る
悩みを持つ人は、世の中には多い事かと思います。
ですが、同じ境遇になっても悩む人と悩まない人がいます。この違いは一体何なのでしょうか?
これを解くためには、そもそも悩みとは何なのかを知らなければなりません。何故悩むのでしょうか?
悩みとは、概ねして自己の内面にある「事実」に向き合いたくないという時に起こるのでは無いでしょうか。その時、人間はその辛い状況から逃れるため、自己を正当化をしようとします。例えば、
「モテない」
「良いところに就職できない」
これらを正当化しようとすると、
「顔が不細工だからしょうがない。もっと良い顔に産まれていれば…」
「学歴低いからしょうがない。もっと良い大学に入れば良かった…」
他にも自己を正当化をする理由はたくさんあると思いますが、こういう理由で正当化をする人がいるのも事実でしょう。それでは、この2つの悩みから「事実」を見ていきたいと思います。
まず「モテない」ですが、これは単純にその人に「魅力がない」からでしょう。
「顔が不細工」というのは、「先天的なもののせいだからしょうがない」としているのです。先天的なもののせいにしておけば、何も変わろうとしていない自分を正当化できますから。
そのため、「顔が不細工だからモテる努力をしてもしょうがない」と正当化して今の現状に留めようとするのです。これによって、「悩んでいるのに何も努力していない自分」を正当化して辛さを緩和しようとします。
現に、顔があまりよろしくなくても、面構えや姿勢、清潔感などある程度の見出しなみと、何よりも内面から滲み出る魅力でモテる人などたくさんいるでしょう。
そうです、その「内面の魅力も無い」という「事実」から目をそらす為に外側の外見のせいにするのです。
そして「就職できない、学歴があれば…」という悩みについてですが、これも事実は単純なもので、その人に就職できるだけの「実力がない」だけの話です。
「学歴」という自分の外側にある力が無い事のせいして、自分の内側にある実力が不足しているという「事実」から目をそらしているわけですね。
「学歴」のせいにしているという事は、その人は「学歴」以外の魅力もないという事になりますから、その中でも外側の力のせいにする事によって、自分の内側を守っているのです(むしろ傷付けているのですが)。
現に、そのような「学歴」という外側の力がなくても、自分の内にある実力で仕事を貰っている人などたくさんいます。
このような悩みの全ては、自分の内面を見ようとしない為に起こるのです。
さて、事実と間違った認識をしていると、このように違う例が出てきて矛盾が生じるのですが、そのような情報は自分を正当化する為に排除していきます。もしくは「例外」として扱うでしょう。そして同じように「不細工でモテない」「学歴がなくて就職できない」人達を見て、自分の考えは間違っていないと、自分の考えを強化していきます。こうする事によって自分の考えと同じ考えしか見ようとしなくなり、結果的にかなり狭い視野の中生きて行く事になります。
成長する為に「努力」しようともせず、小さい頃と変わらない自分をただ正当化して生きていくのです。
「努力」というワードを出しましたが、これは「頑張ればなんとかなる」などと言う根性論からくる話ではありません。ただ「事実」を直視して、そこから解決を導き出し、その解決の為に「努力」をすれば、その事実は自分にとって辛い事ではなくなる、という話なのです。
その「事実」を直視していない状態で頑張ったところで、それは解決策もないまま頑張っている事にならないでしょうか。そんな状況では当然解決はできず、挫折して「努力をしても無駄だ」と自分に制限をかけるだけになってしまいます。
このような制限を「学んだ」とする事で、事実から目を逸らしている自分を更に正当化します。そしてそれを「経験」と呼ぶ人がいますが、これは事実と間違った認識をしているが故に、その事実による苦しみを何度も味わうだけの「体験」になるのです。
これは学びではありません。ただの勘違いです。
「学び」に苦しいものなど何一つとして無いのです。
あなたの昔の状態でもそれは苦しいものだったのではないでしょうか?だとしたら何も変わっていないのではないでしょうか。
変わっていないその苦しんでいる現実を「学び」と言う事で、何も変わっていない自分を正当化しているのです。
それを乗り越える体験をして、現状を変える力を身に付けなければ、何一つとして「学び」と言って良いものにはなりません。
このように自分を苦しめる「事実」に対して次から次に目をそらす事により、どんどんその事実は他の事実と一緒に積み重なっていきます。こうなれば、その「事実」による苦しみはどんどん大きくなってきて、その苦しみから死を選ぶ事もあるでしょう。
それは、自分で自分を苦しめる事にならないでしょうか。
確かに、自分の醜い部分とも言えるような内面の「事実」を直視する事は、かなり辛いことだと思います。一時的に見れば、そこから目をそらす方が辛くないかもしれません。ですが、その自分を苦しめる「事実」というのは、一つではない事と思います。ゆえに、目をそらし続けると、どんどん苦しみが増えていくのです。
そこで自分の内面にある「事実」を直視すれば、自ずと解決策は見えてきます。ただその自己の内にある「事実」を受け入れるだけなのです。その自己の内面を受け入れれば、自己を苦しめる自分は消え、「事実」を直視する力を手に入れます。そしてその力によって次にまた同じ「事実」が来たとしても、簡単に乗り越えられるようになるのです。そうすればその「事実」が再びやってきた時、それにより苦しむ事はなくなります。
これが「学び」なのです。今の自分よりもより良い自分になっているからこそ、学んだと言えるのです。
そう考えると、一時的に辛さを緩和しようと自己の内面の「事実」から目をそらすより、直視してそれを受け入れ、解決策を見出した方が、よっぽど辛くはなくならないでしょうか。
これは、自分を苦しめる「事実」から目をそらしてきた人には、ピンと来ない話かもしれません。恐らく、自分が「事実」から目をそらしていること自体、気付いていない人が大半でしょう。
ですが、もしもその事に気付いて「事実」を直視した時、あなたの世界は変わります。
あなたの目に映るのは、間違った認識の濁ったフィルターを通して見る景色です。これでは現実は歪んで見えるでしょう。そこから何も濁っていない、とても澄んだキラキラした世界へと変わるのです。こうなれば、あなたはあらゆるものを見る時に、その姿のありのままを見る事ができるでしょう。
また「事実」を乗り越える事によって、自分の現状を覆した体験を得られます。ここから、自分の望みを叶える経験が身につきます。その経験から自信はどんどん付いていき、望んだ事は何だって叶える力をあなたは手にするのです。
あなたが悩む理由は何でしょうか?
それは、案外悩むに足らない事だったりします。事実、悩みを乗り越えた人は「何でこんなことで悩んでたんだろう?」と思うものです。それはもうその人にとって悩みではなくなったのだから当然の事なのですが、その当然の事をしようとしていない人があまりにも多すぎるのです。
「できない」のでは無いのです。「しようとしない」だけなのです。また、「できない」と思うから「しようとしない」のです。
「自分にはできない」と思いながら何かを自分で成し遂げた人がいるでしょうか。そのように思いながらできるまでやり続けるのは相当辛く、続くものではないのではないでしょうか。
「自分はこれができる」と思うからそれができるように行動するのではないでしょうか。そして、できるようになった時はとても嬉しいですし、できるようになった自分を想像するとワクワクして、どんな時でも楽しいものになります。
自分で自分を苦しめないでください。
あなたの悩みはどこからくるのでしょうか。
それは、あなたの内側にしか無いのです。
それを見つめるだけで良いのです。
あなたの人生は、もっと楽しいものであって良いのです。
あなたが楽しく過ごせば、きっと周りの人も楽しくなります。周りの人が楽しくなるのであれば、自分ももっと楽しくなるでしょう。
だからこそ、私は私の為にあなたが楽しく過ごしてくださることを、願っています。
最後に、自己の内面を他者を通して見ることで、その自己にある醜い部分を批難してしまう人間が多く、これによる悩みも多いと思います。これも結局は今回の話と変わりはしないのですが、またの機会に詳しくお話ししたいと思います。
それでは。